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このページでは、保護者の皆様に
保護者向け月刊誌「ほとけの子」
2003年度版
より内容をお届けしています。
特集


◆親子の絆◆


 [次男が幼稚園を卒園する一ヶ月ほど前にことだ。「小学校に上がれば、もう講演に付き添わなくてもすむからラクになるわ」と夫に言ったのを、彼に聞かれてしまった。「よく言うよ。ママは公園に出ても、ほかのママたちとベラベラしゃべっているだけじゃないか。おれはもっと一緒に遊んでほしかったぜ」
 この言葉を聞き、恥ずかしくなると同時に、過ぎ去った時間を急に取り戻したい気持ちになった。翌日からボールをけったり、一緒に砂場に入ったりするようにした。私が彼と遊んでいると、よその子が「入れて」とくる。ー略ー先日、寄ってきた子どもたちに、「自分のママにも遊んでもらってよ」と言うと、返事はみな同じだった。「だめだよ。だって、うちのママ、自分で遊びなさいって・・・」子どもは大人に相手にされたいのだ。母親と遊びたいのだ。以下略ー]
 これは三月二十四日朝日新聞の「ひととき」にのった、埼玉県のある母親の「子どもは相手のされたい」という文です。たしかに園バスの乗り場や公園などで、おしゃべりに熱中するお母さん達の姿をよく見ます。昔の井戸端会議の現代版でしょうか。
 母親は、子どもと一緒に遊ばなくてはならないとしたら、仕事も持てず、家事もできません。子どもが一番言いたいことは、「僕を見て!」ではないでしょうか。そして気持ちをわかって!時々一緒に遊んで!しっかり抱いて!大人は言います。「それならちゃんと言いなさい!」しかしそれは五、六歳児にとってなかなか難しいことです。大変な勇気がいることです。察してください。

子どもを「見る」ということ
 生まれてきたばかりの赤ちゃんには、親の目はいっぱいそそがれています。赤ちゃんを見ることが嬉しく幸せなのです。赤ちゃんは自分では何もできません。だから少し離れた所にいる時でも、全身で赤ちゃんの様子をわかろうとしています。日に日に育つ我が子を、暖かい目で手で肌で、しっかりとらえています。赤ちゃんも暖かく見守られていることを感じ、安心して沢山眠ることができるのです。
 しかし次第に育つに従って、親によっては「見る」が変わってくるようです。他に目が行きがちになります。今私達の周りには、物欲や娯楽への刺激的な情報があふれています。子育て中であっても、それに引きずられる人がいます。子どもがいるから遊べない、買えないなどが不満となって、子どもへの目の暖かさがなくなってしまいます。直接暴力をふるうことはなくても、子どもにとっては大変むごい扱いをされていることになります。しかしこういう親は少ないと思いたいです。
 今多いのは、子育てに関する情報に迷う親です。インターネット、TV、本、話などの、子育ての情報の量は洪水状態です。この中から何が正しいか、良いか、を選ぶことは難しいでしょう。この様な情報に目が向いてしまい、子どもに目を向けることが少なくなること、そして子どもを見る目が、監視や監督の目になり、批判や指摘のことばが多くなることです。そのことばも、とてもきつく、「いけません!だめです!なぜできないの!」が連発されます。子どもはこの様なことばをどう感じているのでしょうか。実は幼児は「ことば」で気持ちや考えを伝えることが上手でなくても、表情や動きや声などで精一杯親にメッセージを発しているのです。それを感じとってもらえない、受け止めてもらえない、それなのに一方的に指摘や指示をされる。次第に親への信頼の気持ちが薄れ、親を警戒する様にさえなるのです。それでも幼児期はまだ親を必要としています。幼児期にしっかり親子のきずなを結ぶこと。これが一番大事です。
 ある時、一人の女子学生が言いました。「私は子どもの時、親に愛されていませんでした。母が私を見る時は、文句を言う時だけでした。私は淋しかった。だから私は保育の勉強をして、どんな子どもでもしっかり暖かく受け止められ、その子の気持ちがわかる大人になりたいのです」。これは大変難しいことです。しかし努力することで、子どもと良い関係ができていくのです。必ず子どもも答えてくれるはずです。仕事を持っていて、しっかり伝わり根づいていれば、子どもは安心して親の帰りを待つことができ、一人遊びもできるでしょう。でも少しでも時間があったら、中味の濃いふれあいをして下さい。

子どもの相手をする。特に「あやす」ということ
 最近、小さい子どもをあやせない親が増えている、と言われています。何故でしょう。私は、東京と新潟間の新幹線に乗ることが多く、0、一歳児連れの家族によく会います。約二時間の大人にとっては短い旅ですが、子どもにとっては大変です。新幹線での家族旅行で興奮気味の五、六歳児でも、飽きるのは早いものです。せわしなく体を動かし始める、しつこく親にしゃべりかける、ぐずり出す、兄弟喧嘩がおきる、ウロウロする、遂に通路を走りまわる。親の対応もいろいろです。全く知らん顔や寝たふりの人。「しずかにしなさい。うるさいわねえ。疲れているのよ」など叱るだけの人。すぐ食べ物を与える人。本や玩具をとり出して「一人で遊んでなさい」、これも決して長続きしません。乳児をあやすだけでなく、どうも子どもの相手がうまくできない、または面倒くさい、という態度なのです。長時間の乗り物と同様、子どもには無理な場所、連れて行かれると子どもにとっては迷惑な所があるのです。行く迄は子どもは楽しいことを期待しています。しかしそこが大人のための場所、大人の世界であったら、どうでしょう。できるだけそうした所には子どもを連れて行かないことですが、止むを得ない時もあります。子どもの気持ちを汲んで、うまく相手をすることを考え、早く帰るなど決断することも必要です。先日、車内である家族に会いました。母親はもっぱら赤ん坊の世話。しっかり赤ちゃんの顔を見て、話しかけたり、一緒に「アブアブ・・・」など声を出して、とてもほほえましい様子でした。父親は三歳と五歳の男の子と、まず窓から外を見ながら小さい声でのおしゃべり。その後は、絵本と玩具を出して遊ぶ子に上手に相手をしていました。少し飽きてきたなと思われる頃、二人の手をとって、しばらくデッキの方へお散歩。最後まで二人の男の子はとても満足そうでした。この若いお父さんは工場勤務。そして子どもは保育園。「とても良い園で安心です。そのうち母親も働きますので、下の子も入れるつもりです」と言いました。普段子どもと遊べない分、この三日間は、精一杯子どもと一緒に遊ぶのだ、と嬉しそうでした。感謝することを知っている、とても暖かい心のお父さんでした。
 ところで「あやし方」を教える教室があるそうです。「いないいない バア」や「チョチチョチ アワワ」などの「あそばせ方やあそばせ歌」を教えてもらはなければ、赤ちゃんの相手ができないのでしょうか。この様なあそびは、誰かが作って教えるものではなく、子育ての中で生まれ、ごく自然に伝わってくるくるもの。赤ちゃんと向きあってあやしながら、自然にことばが「うた」の様にあり、二人の心が一つになる喜びを感じることで、新しい自分達親子の「あやし歌やあそび」が生まれるのです。昔は沢山の「あやし」や「あそび」が日常と生活の中から生まれていました。それは、気持ちを受けとめる暖かい心と、それに喜んで答える幼い子ども達との間に生まれた宝物だったのです。皆さんも、自分の子どもとの間に、自分達だけのあそびの宝物を作ってみませんか。

宝仙学園短期大学名誉教授:小林 美実
保護者向け月刊誌「ほとけの子」2003.10